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アベシンなら、今しか解散はない

 安倍晋三首相が臨時国会の冒頭で衆議院を解散し、総選挙をすることを決めましたね。僕がアベシンだっても、解散は今しかないと思うでしょう。

 森友・加計学園問題で支持率が下がった時は、考えていなかったでしょうが、金くんやトランプくんと、世間知らずで「(KYMK)空気読めない民進党幹部」のおかげで支持率も持ち返しました。

 どうせ来年の12月までにはやらねばならないことですし、臨時国会で「今年1月まで知らなかった」という加計学園問題などの大うそで大恥をかき、あげくに感情のコントロールが出来ない病気のために、怒鳴り声を挙げてしまうようになる前の今が一番でしょう。

 北朝鮮の核実験・ミサイル発射、その度にマスコミは臨時ニュースを繰り返して行い、朝のラジオ体操も中止になりました。特に、7~8月は全国各地で行われる巡回体操で生放送、各会場に集まった人たち、特に子どもらのことを思うといたたまれなく思いました。

 午前8時からの連続テレビ小説のファンである妻も、核実験とミサイル発射で2度も放送が無く、さすがに2度目の時は怒っておりました。

 核実験が行われミサイルが発射した時の安倍晋三が、意気揚々とした顔で「断固抗議する」など、けしからんと発言している姿を見て、これ金くんに前もって電話でもして、「ちょっと支持率が下がっているから、よろしく」とお願いしているのではと、普通は考えられないだろうということを思っていました。

 しかし、僕の周りの友人らもまったく同じことを云うので、「非国民」も多数派なんだと安心していました。

 この解散・総選挙、なんとしても野党が一緒になって、自公政権に戦って欲しいですね。特に、野党第一党である民進党には大きな決断をして欲しいものです。野党共闘でやらないと、来年6月の通常国会の後半は憲法改悪の発議でしょうね。「骨子は変えない」としているエネルギー基本政策も、原発新増設を容認するという方向に向かう恐れが十分にあります。

 この前の衆議院選挙が終わった後に、総得票では自民・公明の票数よりも野党の数の方が多かったという、無意味な泣き言をいろいろな場で聞かされました。二度と同じ言葉は聞きたくありません。

 こういうような選挙制度を誰が作ったんだ、問題があるのなら替えようとしなかったのか、何よりもそういう制度だということを熟知して選挙をしたんじゃあないのかと叫びたくなります。

 まあーアメリカ大統領選挙でも、トランプよりヒラリーの方が総得票では多かったと負け犬のように言ってますから、その点は何処も同じですね。

 国民にも有権者にも、特に18歳以上に引き下げられたのですから、みんなが本気になれる選挙戦になることを、心から願っています。

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中村敦夫さん朗読劇「線量計が鳴る」

 久しぶりのブログとなりました。となったのは、9月10日に広島市で中村敦夫さんの朗読劇「線量計が鳴る」公演を行ったからです。前日の9日には福山市でも行い、その準備やらで、たいへん忙しくしていたのです。

 中村敦夫さんといえば「木枯らし紋次郎」で、大脚光を受けた俳優さんです。俳優だけでなく、テレビ番組の「中村敦夫の地球発22時」などのキャスターとして、参議院議員として、そして作家としても活躍している大尊敬の人です。

 その中村さん、子ども時代に疎開生活のため福島県いわき市で過ごしていたことから、福島原発震災への思いは強いものがあったのです。朗読劇の台本書きも出演もすべて中村さんが行われました。台本を書きあげるのに3年以上を費やされました。チェルノブイリにも行かれたのです。

 僕に第1版の台本が送られてきたのは、今年の正月でした。それからも何度も何度も書き変えられて、そうとうに検討を重ねられたようです。そこがキチンとした物を作りあげたい中村さんの素晴らしいところです。

 そのことをよく知っているので、会場選びから照明、背景に映しだす映像のチェックなど、僕も抜かりなくを相当に意識して準備しました。

 会場が満杯になるだろうか、音は割れるようなことにはならないだろうか、照明は旨くなるだろうか。

 往々にして、僕ら「活動家」といわれる者は「やれば良い」という素質が大きいようですが、なにしろ俳優さんですから、準備にはそうとうに気を使いました。

 朝日新聞広島版に写真付きの記事が載り、びっくりするほどの申込み電話が掛かってきました。まさに「AKB48」の申込みのような感じでした。RCCラジオにも電話出演されたら、またまた電話が掛かりました。

 この公演を終えて思うこと、それは「世の中捨てたもんじゃあない」ということを身体で実感することができました。原発に反対する人、フクシマに思いを馳せている人は、たくさんおられるということの実感です。

 参加した人にアンケートをお願いしましたが、その熱い思いをガンガンと感じ取ることができました。今度、そのアンケートに書かれたものも紹介したいと思います。

 公演が終わり、中村さんと広島駅に向かう車の中で「広島市公演が一番良かった」と言われ、僕も大満足でした。「良い」というのは舞台の大きさとか照明とか音声とかのことですが。

 中村さんは、今年中に24か所でこの朗読劇をやる予定が入っているそうです。100回を目指すとも言われました。すごい気持ちをエネルギーです。
 僕も、負けるわけにはいきません。

8月を振り返って

 自宅前の通学路、今朝から小学生の歓声が聞えはじめました。こういう声を聞くとホッとしますね。やはり子どもの声というのは本当に良いものだとつくづくと思います。

 8月という月は1月と同じように、長く感じる月です。原爆の日、お盆、秋に向けての準備、そして今年は特に暑かったということで長く感じたように思います。ということで、8月を振り返ってみます。

 8月5日の夕方、「8・6ヒロシマ平和へのつどい2017」というのが開催されました。僕は毎年、このつどいの冒頭のあいさつというのをしています。このつどいに女性右翼活動家が変装して入り、そのことを産経ニュースにレポートとして載せていました。このつどいの代表者を批判するレポートともに、高校生平和大使も攻撃している文章でした。産経と女性右翼活動家の繋がりには、驚きでした。

 8月9日の長崎で、安倍首相との意見を云う会で、冒頭、長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会の川野浩一さんが「あなたはどこの国の総理ですか、私たちをあなたは見捨てるのですか」と言われたこと、核兵器禁止条約の交渉にすら参加しない政府の姿勢い対する言葉です。以前は、「怒りのヒロシマ、祈りのナガサキ」と云うことがいわれてましたが、それが逆転してしまいましたね。

 平和宣言にしても、政府の考えを忖度して遠慮遠慮している広島市と、云うべきことは言うという長崎市の姿勢の違いは明白です。

 月半ばの日に、友人と被爆者運動の歴史、特に原爆直後の10年間くらいの時期の被爆者運動が難しかった時期について、語りあいました。ヒロシマ・ナガサキのこの時期のことと、6年5か月のフクシマでの状況、比較し重ね合いながらの話しは、とても興味深いものでした。

 今、俳優の中村敦夫さんの朗読劇「線量計が鳴る」を9月9日に福山市、10日に広島市で開催するため、本気になって準備をしています。そのために記者会見というのを、久しぶりにやりました。会見に来てくれたメディアは2社、ちょっとがっかりでしたが記事が朝日新聞に掲載されたら、その日の朝から大げさですが、電話が何本も掛かってきました。もちろん中村敦夫さんの知名度からでしょうが、関心の深さには「捨てたもんじゃあない」という気になりました。

 週2日ですが仕事に行ってる職場で、働いている若い人がセッセと何かを書いていました。スマホを見ながら、一心不乱という感じで書き写していました。  
ちょっと感心があったので、チラッと覗くと「始末書」というものでした。なぜ「始末書」を書くはめになったのかは知りませんが、最近は「始末書の書き方」と検索すると、文例がいくらでも出てくるのですね。何でもコンピューターに頼られるのだと関心しました。こんな形で書かれた「始末書」を持って、「安心」している経営者も、「なんともイヤハヤ」という感じです。

 孫らと妻の先祖の墓や妻の兄妹らの家、そして海水浴にも僕にとっては珍しく行きました。

 そして肝心なことを書くのを忘れていました。それは「エネルギー基本計画」の改定に向けての政府の会議の第1回目が、8月9日に開催されたというニュース、この改定はこれからの原発政策に大きく影響をします。これから冬にかけてどのような展開を見せるかが重要です。

 そしてもう一つ、NHKの8月26日土曜日の朝の討論テレビ番組で、高レベル放射性廃棄物の地層処分問題で原子力資料情報室の伴英幸さんが出演していました。彼とは長い友人です。番組が終わって早速電話をしました。その時は話せませんでしたが、夕方になって電話が掛かってきました。「なかなか良かったぞー。それにしても『地層処分』という言葉を始めて知ったという視聴者からの反応があったけど、こういう人がまだ居るんだからねえー」とかいった話をしあいながら、「今朝は朝から気分が良かったぞー。良かった良かった」と激励しあいました。

 このブログを書いている時、長崎市に住んでおられる、被爆者の谷口稜皣
(たにぐち すみてる)さんが亡くなられたというニュースが入りました。よく知っている方で、特にアメリカのドキュメント映画「ダークサークル」の製作では本当にお世話になっていました。
 


「被爆者になりたい~」

 よく「原子爆弾に遭った人は良いよねえー。病院はタダだし手当ても貰って」という言葉を聞くことがあります。こういうのを聞くのは、本当に不愉快ですが、今の日本の医療や福祉対策の遅れが、こういう妬みのようなものになるのだと思いもします。

 今年の原爆忌が終わり、友人と被爆者活動のこれまでとフクシマへの被災者対策について、話し込みました。

 原爆が投下されて12年後の1957年4月に、正式には「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」、属に「医療法」といってる法律が施行されました。それまでの12年間の被爆者の状況は、偏見や差別の中にありました。同じ被爆者でもケロイドが在る人無い人。国による何の対策もなく、苦しみ中のどん底でした。

 そんな中でも被爆者救済のために苦労した人、お先真っ暗の中で病気とのたたかいも在る中で、すべて手弁当で闘った人のことを忘れてはならないと思います。こんな時間が12年間もあったのです。12年間は本当に長かったと思います。

 それが1957年に「医療法」ができ、「被爆者になりたい」人が徐々に増え始めました。そして1968年の「特別措置法」の制定となり、1994年12月にこの二つの法律が一本化されて「援護法」が制定されたのです。

 「された」という言葉を使うと、何も戦いが無くて国が「してくれた」というように受け止める人も多いと思いますが、この法律を制定させるために被爆者の人たちを中心にした、血のにじむような活動があったことを忘れてはなりません。

 特に、原子爆弾投下から12年間のことを考えると、涙が出てきます。僕が被爆者援護法を成立させる運動を始め出したのは、1970年代からですから、「医療法」も「特別措置法」も制定された後で、いわゆる「安定期」といって良い状況の中でしょう。でもその頃に知りあった被爆者の人たちも、「この法律はこれから二度と、原爆被爆者のような放射線被害者を作らないという『未来の保証』を勝ち取るものだ」と、熱く語られた姿は忘れられません。

 繰り返しになりますが、もっともっとたいへんだったのは、12年後までの被爆者ではないでしょうか。誤解を招くかも分かりませんが、あの頃被爆者を差別した人が、今ごろになって「被爆者になりたい」と言ってるのではないかと思ってもしまうのです。

 福島原発震災から6年5か月、国からの施策はほとんど「何もない」状況の中で、同じ被災者の中でも差別と分断が起っている状況、1945年のヒロシマ・ナガサキと同じように見えるのです。

 そんな中でも、被爆者として戦ったヒロシマの先人たちのこと、フクシマでフツフツとした思いで活動をしている人に、是非学んで欲しいと思うのです。外部からの偏見や分断の動きを知りつつも、たいへんに困難なことではありますが、道理のある姿を示して欲しいのです。

 こんなことを語りあった友人に、「こんな本を読んだら、というのがあるかなあー」と訊ねたら、山代巴さんの「原爆に生きて」が参考になるのではと教えてくれました。

 もうすでに絶版になった本で、アマゾンでも探してみましたが在りませんでした。そうなると図書館に行ってみるしかないですね。

気になる人と電話ができました

 こんなタイトルを付けると誤解を受けそうな感じですが、そういうものではありません。

 あの名刺はどこに置いているのだろうかと気にしながら、半年以上探していました。それが、先日の約4日間に亘って行った部屋の大掃除をしている時に、見つかったのです。嬉しくて思わず歓声を上げました。

 前置きが長くなりましたが、その人とはあえて名前は書きませんが、Mさんという「交通サークル 神戸・広島公共交通研究グループ」の男性です。

 昨年の9月だったと思いますが、青春18きっぷを使って三江線に乗った時、電車の中で偶然知り合った、たぶん20歳代と思われる青年です。とても丁寧に三江線のことを話してくれました。ただ詳しいという以上の内容で、石見川本駅の近くで昼食を共にしたのです。

 それ以降、その彼はどうしているだろうか、三江線の廃止が決定し、今どういう思いでいるだろうかということが気になっていました。だから声が聞きたかったのです。でも電話をするのは、ちょっと勇気のいる気持ちもしていました。

 しかし名刺が見つかって、勇気を出して電話をしました。電話は留守電で、「三江線に乗った時に話しを聞いた者です。元気ですか」と入れておきました。そうすると、Cメールが入ってきました。今、仕事中なので夜に電話しますという内容でした。

夕 食では、ビールの量を少な目にして、出来るだけマトモな状況でスタンバイしておくことに決めていました。そしたら夕方6時前に電話、彼は僕のことを覚えておいてくれました。声を聞くだけで嬉しかったのですが、今、夏休み中なので三江線は乗る人がとても多い。座ろうと思えば、ギリギリに三次駅に着くのではなく、この電車が三次駅に着く9時21分前に、三次に行っていた方が良い。そのためには広島駅発、○○時の電車に乗ること。ちょっとお金が掛かるけど青春18きっぷの利用期限が切れた後に利用する方が良い。○月○日に、○○駅で大きなイベントが計画されている。などなどを教えてくれました。

 僕は彼の声を聞けば良いだけという気落ちだったので、電話の内容はだいたい頭をスルーしていました。でも彼が今でも頑張っているというのは、変わらなかったので凄く感動でした。

 スマップの歌で、「世界に一つだけの花」という歌詞に「No1にならなくてもいい、もともと特別なOnly One」という部分が好きです。彼がどんな仕事をしているのかも年齢も知りません。そんな彼を「No1にならなくてもいい」だのいうのは、たいへん失礼なことかも知れません。

 でも「交通サークル 神戸・広島公共交通研究グループ」代表として、熱く語る姿は「Only One」でした。それも仕事をしながら、たぶん僕の想像ですが、生活のために仕事を頑張り、もう一方で頑張るものを持っているであろう、彼の声が聞けたのは、大感激でした。

 そして有島武郎の「生まれ出づる悩み」の最後の部分、「そして僕はこの地球の上のそこここに…」のくだりを思いだしていました。彼のことをほとんど知らないのに、こんなことを書くのは失礼なのかとは思いながらも…。


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